Mmtarou’s blog

育児ネタ多め。出産・育児記憶が薄れないように残したい!

二人目の妊娠と出産①

二人目の妊娠・出産は、結論から言うと、死産になりました。

 

一人目の出産時に大量出血したので、子宮を休ませることもあって妊活は1年くらい開けていました。運よくまた妊娠することはできましたが、一人目と同じく重度の悪阻で、妻はトイレを抱いて寝るような状態でした(保育園の送り迎えはやってたはずですが、このころどうやって長男の育児していたのか、なぜか自分には記憶がありません)

 

悪阻から少し回復して、ある時、妻が「子宮から何か出てきた」と慌ててリビングにきて、病院に電話していました。長男もつれてタクシーで病院に行き、外で待っていると、妻から電話があり「ちょっともうだめそう」みたいな感じで医師に呼ばれました。

 

医師からは、「臍の緒で頭がひっかかって、赤ん坊が物理的に止まっている。こんな状態、今までみたことがない」と説明されました。そのまま緊急入院になり、ダメ元ですが子宮頚管の縫合手術をしました。(何とか羊膜?は破れずに済んだようでした)

 

ダメ元の緊急手術だったので、医師から以下の選択肢を提案されました。

① 絶対安静として、妊娠継続を目指す(早産で障害児になるリスクを覚悟する)
② 人工中絶をする(これをやるなら法律があって、22週までに決めること)

 

時間がなく困りました、きれいごと抜きで妻と話をしましたが、やはり②は抵抗や罪悪感が強く、①を選びました。

 

①を選んだものの、長男の育児があったので無理をいって退院させてもらい家で安静という生活をしていたのですが、妻の体調がずっと悪くおなかの張りがあったりで、何度か夜に緊急でタクシーで長男を連れて病院に行ったのを記憶しています。睡眠不足が続きました。体調は悪いが、おなかの子供は問題ない、という医者の判断が続きました。

 

22週をちょっと超えたあたり?の夜に、妻が突然高熱を出して念のためその夜だけ入院(子供異常なし)という形になり、長男と家に帰りました。

 

その次の朝、長男を保育園に連れて行ってる最中に、妻から電話があり「陣痛がきた、もう終わった」みたいな連絡があり、そのまま分娩室に行きました。


そのあと、医師から電話があり、「子宮からの出血がひどくて母体保護優先で緊急手術します」とそれだけ説明されました。

 

長男の出産時に大量出血して生死を彷徨って記憶が戻ってきました。生まれた子もどうなったかわからず。コロナ渦で病院にもいれてもらえず、電話しても担当の医者は別のオペで状況がわからずで、その日はひどく混乱していました。仕事がまったく手につかなかったのを覚えています。

 

夜になってようやく病院に入ることを許され、医師からようやく説明を受けました。
「急に陣痛がきて、縛っていた子宮頚管を強引に赤ん坊が出てきてしまったので、子宮頚管が避けて大量出血して緊急手術した(またカテーテルによる止血)」
「危ないから今後の妊娠はほんとうによく考えたほうがいい、もう一度チャレンジしたいのなら、別の方法で出産を考えるべき(専門用語で詳しく覚えてない)」

 

そのあと、ICUに隔離されている妻に会いに行くことを許されました(長男はICUに入れず、隔離され泣いていたのを覚えています)。生まれた子は死産なり、さらにまた大量出血して生死を彷徨った妻をみるのはきつく、正直かける言葉思いつかなかったです。
(体が冷えないようにか、包帯みたいなもので体を巻かれていたような気がします。)

 

しかし、妻はテンションがとても高かったです。出産前は相当体調が悪かったようで(赤ん坊が重度の感染を起こしていたため)、出産後は嘘のように体調が回復したと元気になっていました。生死を彷徨い、なにかアドレナリンのようなものが出たのかもしれません。輸血を急げとか、そういうシーンは妻は覚えていたようです。

 

こうして我が家の二人目の妊娠・出産は敗北に終わりました。