Mmtarou’s blog

育児ネタ多め。出産・育児記憶が薄れないように残したい!

一人目の妊娠と出産

育児の記憶がどんどん消えてしまっています。もっと写真とかとるべきでした。

 

恥ずかしながら、3、4年経つと、どんな感じでミルクをあげていたか、風呂に入れていたか、どんなふうにつかまり立ちしてたのかほとんど覚えてないです。ただ、トラブルの多かった妊娠と出産は記憶に残っています。

 

結婚後3年ほどで妊娠しました(これは運がよかったのかもしれません)が、すぐに妻は重度の悪阻になり、入院していました。入院前もほとんどトイレにしがみついて生活してたような状態でした。これは男にはわからないつらい状態だったと思います。

 

つわりが落ち着いた後は、検診で子宮頚管が短いということで、すぐに子宮頚管を縛る手術をして入院していました。なんとか出産日近くまで持ちこたえました。

 

出産日あたりに?縛っていた糸を外して、陣痛促進剤を打って、吸引分娩をやってなんとか長男が生まれました。生まれた後、妻は元気だったのですが、すぐに出血のせいか立てない状態になっていました。

 

出血が全く止まらない、どこから出血してるかわからないということで緊急の輸血や縫合手術がはじまり、出産の翌日くらいまでずっと輸血をした状態が続きました。医者から輸血してももう埒があかないから、「子宮をとる必要があるかもしれない」、「念のため両親を呼んでくれ」と言われて大きな総合病院に移動しました。たしか出血は10リットル超えていたし、電話した両親はパニック状態になって急いでICUまで来たのを覚えています。

 

あの時、人生ではじめて救急車に乗りました。出血のせいか妻の手が異常に冷たくてほんとに死ぬんじゃないかと思ったのを記憶しています。この時、自分自身、出産した長男のことは完全に忘れてしまっていたと思います。救急隊員?に住所を聞かれても答えられなかった自分もパニックだったのだと思います。

 

運よく総合病院にカテーテルの止血?を専門の救急医がいて、なんとか子宮をとらずに出血がとまったのですがICUで数日間、普通病棟?で1週間ほど妻は入院していました(ICUでは痛々しかった姿でした)。自分は仕事があったので、長男はどうすることもできず10日間ほどは病院での保育になりました。たしか、母乳はもっていったのを覚えています。

 

医者からは出血の原因はわからない、ごくまれに子宮からすごい出血する体質の人がいるから二人目はよく考えたほうがいいと忠告されました。一方、妻はまだ生む気はあると意欲的だったのを覚えています。

 

無事に生き延びたのですが、ほんと出産は命がけだと、ほんと恐ろしかった。

なんともない人はいっぱいいるんでしょうけれど。。